新世紀のラブソング

推しが生きてるだけでThank you!

カスタマイZよ、永遠に

カスタマイZラストライブから1ヶ月が経過した。

 

私は「解散」という事実をまだきちんと受け止められずめそめそしながら生きている。
カスタマイZというアニソンバンドがこの世界に存在しない現実があまりにも悲しくて寂しい。
その悲しみや寂しさに堪えきれず、彼らがカスタマイZとして生きた証であるブログを読み耽り、彼らがカスタマイZとして同じ夢を志し、同じ道を確かに歩いていた頃の映像を見て結局傷心を確実に抉られ、その傷心を慰めようとブログを読み、映像を見て傷心を抉るの繰り返しをしている。ふと我に返って、指に出来たささくれを弄って後悔するのと同じだなぁと思ったりする。

 

 

 


実は、私がカスタマイZを好きになってまだ5ヶ月程しか経っていない。驚くでしょ。超の付く新規。
それまでEBiDANでは超特急しか興味が無かったのに、ある休みの日の夜に、突然何の前触れもなく「カスタマイZの お遍路×Returns 小豆島88カ所巡り」 の映像を見た。そして、一瞬で激坂を転がるように好きになった。イケてる男の子たちが真夏に大汗をかきながら歩き回ってる姿を見せられて感動しない人種だったら、今頃若手俳優沼なんかにいない。


メンバーをじっくり見てから思い出したんだけど、HIROKIと私は初めましてではなかった。2014年2月公開のとある映画の上映会でHIROKI(DAICHIも一緒だった)を生で拝見しており、しかもビジュアルがめっちゃ好みで「うわ〜あの子超かわいい〜まじ推せる〜♡」と、軽率に推そうとしたけど、寺坂尚呂己でググってカスタマイZがヒットした瞬間に心が折れた。その1年半後にまんまと超特急の後ろをくっついていくことになるのだけど、当時は大枠としてEBiDANがももクロちゃんの弟分であるのは知っていたけど、グループが細分化されている部分をよく知らなかったので私にEBiDANは手に負えないよ……とヒヨってしまった。2014年の2月だと、カスタマイZが動き出したばかりの頃だったので、今となってはヒヨらずに積極的にHIROKIを推していれば…という後悔しかない。

 

そんなこんなで、私が激坂を転がるように好きになってから、カスタマイの4人がカスタマイZとして公の舞台に立ったのはあの解散ライブの数時間だけだったりする。それでも彼らは私にとって大切な存在なった。

 

私はいつもカスタマイZに与えられてばかりだった。
アーティストとファンという関係において、貰うとかあげるという考えがそもそも間違いかもしれない。だけど私は確かにカスタマイZから日々のエネルギーや、頑張って働こうというパワー、そして生きようという気力を貰いまくっていた。

 

今年の5月・6月の記憶を私はあまり覚えていない。社会人になったばかりで日々忙殺されていたからか、あまりにも辛すぎて記憶から消したいからか分からないけど、本当にどうやって毎日を生きていたか覚えていない。家族に聞くと「あの時のお前は性格が悪かったよ」とか「違う人が乗り移ってたんじゃない?」と言われるくらいなので相当荒れていたんだと思う。

唯一はっきりと覚えているのは、行き帰りの車の中のこと。今でも、カスタマイZの曲を聴くと、愛用している車の芳香剤の匂いや、ヒヤリとした温度感とかが鮮明に思い出されて鳥肌が立つ。
今でこそ異動になって都内通勤だけど、当時は車で通勤出来る場所に通っていた。朝、車に乗り込みエンジンをかけると必ず ”Life and death” が流れ出す。それを聞いて私の1日が始まる。「今日も頑張るぞ」「今日は泣かないぞ」って日々枯渇するやる気を絞り出す。
そして、帰りは毎日ひとりぼっちで馬鹿みたいに泣いていた。先輩を駅まで送った後、近くのコンビニの駐車場でひとしきり泣いて、カスタマイZをランダムで流しながら大声で歌って帰る。でも”Never Give Up” と ”うたいたいの歌” が流れ出すとまたどうしようもなく涙が溢れた。

 

 

 

 心が折れると たやすく言うなよ
悔しさも涙も 君を守るから
楽しいことだけじゃない毎日
変えてく喜びには 隠れてる 次の扉

 

これは”うたいたいの歌”の一節で、私は毎日この歌詞に励まされていた。
私のこの悔しさも、毎日干からびるんじゃないかってくらい溢れる涙も、次へ繋がる糧なんだって思えて、明日ももうちょっとだけ頑張ろうって思えた。まぁ、それでも次の朝になると仕事バックれようかなって思うんだけど。

 


結局、6月いっぱいで私は異動になった。
「俺の出世を邪魔するな」って言われた時に、もう長くないと覚悟してて、だったらいっそのこと今すぐに放り出してくれって思っていたし、自分自身の不甲斐なさとか嫌なことは沢山あったけど私自身1番堪えられなかったのは嘘を吐いて物を売ることだったから、すごく安心した。

 

働く場所が変わっても、カスタマイZが解散しても、私は変わらず毎日カスタマイZを聴いている。
私は今でも彼らに何かを貰ってばかりいて、だからもしもあのとき私がヒヨらずに積極的にカスタマイZを応援しはじめて、現場に通って、CDを積んで、お金使って接触しまくってたら、彼らはこんなに早く解散という道を選ばなかったのかなと思う。1人でも多く、1枚でも多く、1円でも多く彼らにあげられていたらカスタマイZの未来は変わっていたのだろうか。5thシングル、6thシングルってずっとずっと素敵な曲が聴けたのかもしれない。そう思うと、彼らになにもあげることの出来なかったことをやっぱり永遠に後悔するんだろうな。

 

でも、同時に私はカスタマイZと出会うべくしてこのタイミングで出会ったのではないかなとも思うんだ。出会いとは不思議なものだから、本当に必要なときに必要なものと出会えると私は信じている。
私の人生で一二を争うくらい辛かった時期に出会えたのが、決して順風満帆ではない、困難を乗り越えるプロセスを発信して成長してきたカスタマイZだったから意味があるのだと思う。カスタマイZと出会い、カスタマイZを知り、カスタマイZに励まされ続けたから今の私がある。

 

 

私は好きになったものにずっと執着するタイプの人間なので、何ヶ月後、何年後もずっとカスタマイZが〜って言ってると思う。

他のみんなが忘れても、私は私を救ってくれたカスタマイZのことは一生忘れないし、一生好きで好きで仕方ないと思う。

 

 

 

本当にありがとうございます。

本当に本当に大好きでした。

今も信じられないくらい大好きだから。

 

 

だから
GORO HAMA DAICHI HIROKIの

夢と幸せを心の底から願っています。